中学時代に学年の不良3人グループにいじめられていた私。自分が標的になるのが怖くて私の行動を逐一不良に報告していた女に10年後教育実習で出会った

私の父はもう引退してしまったけれど、元国家公務員。
父の仕事の都合で約3年に一度の転勤にすべてついていった。

母は元銀行員で、さらに今でいえば虐待にあたるような厳しい躾の数々。
私にとっては、学校も家も穏やかに安心できる場所はありませんでした。

大学に行く時に興味があった理学療法士の大学と結果卒業した母の勧めた大学を受けた。
どちらも受かったけど、教員免許だけは無駄にはならないかと私立の大学に通学しました。
教員免許というのは卒業と同時に取れるのですが、教員として働くには都道府県が実施する教員採用試験に合格しないといけません。

教員免許は卒業と同時に取れると言っても、一般の人が思い描くような楽して楽しいキャンパスライフ等とは縁遠い世界。
4年になっても私は講義→吹奏楽団→バイト→帰宅後課題と、あのときしか送れな買っただろうという激烈な生活を送っていました。

結局教育実習に4年の春に行くことになった私。
母の教育のおかげで、子供というものがどういうものか分からない私は、子供が「嫌い」ではないけど、「苦手」。
どこまでは注意や指導をしなくてはいけなくて、どこからは指導をしなくていい(子供らしさ)なのかが全く分からず、宇宙人を見ているようでした。

母からは教員になるものと期待されていましたが、私は全くその気はありませんでした。
その為、4年の春に教育実習、夏には採用試験、秋から就職活動という地獄の1年を送りましたが、そのことは直接今回の話に関係ないので割愛します。

私は高校から家を出て下宿をして通学し、大学も一人暮らしをしましたが、父は当時まだ現役だったので、転勤は相変わらず続いていました。
私が大学4年の時も両親は宮城県にいたため、本来教育実習は「卒業校」に行くのですが、私のように行けない人は東京都でまとめて教育委員会に依頼をするとのこと。

ただでさえ、子供が苦手なのに、都内一等地とかの荒れている中学校に実習になったらと思うといてもたってもいられず、片道2時間半かかりますが、千葉県の中学1,2年生を過ごした学校に挨拶を含めてお願いをしに行きました。

すると、かなり実習生がいるのに受け入れ可能とのこと。
朝真っ暗なうちから起き、電車に揺られ、バスに揺られて一か月の実習が始まりました。

初日、体育館の舞台上に並べられ、「先生の卵です」と紹介されたとき、自分自身がこんなに大人じゃないのに、中学生の頃は凄い大人だと思って実習生の先生を慕っていたのをぼんやり想いだしていました。

一人ずつ名前を呼ばれると前に出て一言を言うように言われていて、私が一番最初。
自分の挨拶を終えると安心しきっていた私の耳に入ってきた名前で私は凍り付きました。

「続いてK先生。体育の指導をしてくれます。」

聞き覚えのあるその名前。