北海道函館の旅;湯の川温泉、函館山、五稜郭、

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■ 函館の温泉;湯の川温泉と宿

青森の下北半島の先端の大間からフェリーに乗せられて、函館港についたのは宵闇迫る頃ありました。 時も函館市街はラッシュの時間帯で、驚くことに首都圏並みの渋滞の様相でありました。
先刻予約しておいた本日の泊宿のの川温泉へ向う。 函館市街から沿岸に沿って凡そ5km程で町内の一角、海岸沿いに温泉タウンに着きました。

筆者がお世話になったのは温泉タウンの中程にある「ホテル新○○」という旅館です。
観光ホテルの佇まいだがピカピカさは無く、見ればビジネス観光ホテルの気安い格安ホテルであろう。 だが、部屋の造作、飾りつけは先ず先ずで、温泉場も言うことは無い。 浴槽は広くやや高温泉だが、源泉がタップリと流入し掛け流されています。

そして、独特の温泉臭もただよって、入ると少々熱めだが静かに入ると、身体に馴染んで気持ちがいい。 ゆったり入ると温泉効果も十分期待できそうです。

ところで筆者は、普通、温泉宿に泊まった場合、到着時、夕・翌朝と少なくとも3回入る事にしています。

宿屋へ着いたら先ず体をほぐすのに一風呂浴び、就寝前に歯の清爽と合わせて寝込みの一浴び、それに朝は目覚めと洗顔とリフレッシュを兼ねて浴びることにしています。

特に、この宿の食事メニューは絶品そのもので、食べきれないほど豊富なウニやイクラがたっぷり入った野菜鍋も実に美味かった。

翌朝の出発の時、玄関前に「いわき」ナンバーの車が間もなく出発するところで、懐かしさのあまり尋ねたところ、筆者のの出身地・いわき湯本の同郷の方で、話が大いに弾んだのでした。

因みに、函館の湯の川温泉は、市民の奥座敷で道内で三大温泉で、指折りの古湯ともいわれます。 だが古湯とはいながら、比較的新しい古湯・・?で、江戸時代の初めには松前藩所縁の温泉となって湯治場風に整備され、病気や病弱な人たちに重宝されてきたといいます。

特に、明治維新の戊辰の役の頃の箱館戦争では、榎本武揚や土方歳三率いる旧幕府軍や新政府軍などの戦で負った傷病の兵士たちの療養にも使われたそうである。

湯は無色透明のサラサラとした感触で、泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物泉で慢性リューマチや神経痛に効果があるとされています。

特に、湯に浸かりながら眺めるイカ釣船の漁火は、その時期の風物詩として温泉マニア知れ渡っているといいます。

湯の川温泉の立寄り湯、共同浴場は3軒あって、日の出湯、長生湯、永寿湯が存在し、何れも地元の人が日常的に通う浴場であり、中でも永寿湯は湯の温度が40~45度と熱いので有名だそうです。

 

■ 函館の名所・函館山とペリー

湯の川温泉から、海岸沿いを市内方面にむかい、市街地を縦断する形で進むと自然とロープウェイ乗り場に誘導される。 このまま車でも頂上まで行けそうでありますが、折角だからロープウェイに乗ってみた。

眺めると朝もやで一寸霞んではいるが、函館市街は見渡せる。 函館山からの市街地の眺めの特徴として、市街地の形が陸部の形として見れることでしょう。

ここから見る夜景は日本三大夜景とも言われ、尚且つ、こちらの夜の景色が一番として人気があると言われます。 1位が函館の函館山、2位が長崎市の稲佐山、3位が神戸の六甲山、と人気投票でも選ばれているらしい。

ところで、大昔は函館山は一つの島であったらしい。 函館とは、砂州によって次第に島とつながる所謂、陸繋島という現象でお互いがつながり函館半島になったといわれます。

外洋から観ると函館山は一つの小高い島のような感じですが、接近するに従って半島になっているのが判ります。

その半島に今では発達した都市が展開していますが、元より函館の港は深い入り江のある扇を開いたような地形のため、俗に巴港とも呼ばれる天然の良港として栄えたのでした。 函館の市章にも「一つ巴」が採用されています。

明治の開拓期を迎えるに当って、文明開化により蝦夷地を“北海道”と改め、そして箱館を“函館”と改称されてから函館の近代史が始まるのです。

だが、その直前の江戸末期、ペリーが軍艦4隻をひきいて浦賀(神奈川県)に来航して開国を要求し日米和親条約を結ぶが、この時、函館の港も開港し二港を開いてアメリカ船に食料や燃料を与える約束をしています。

 

■ 函館の名所・函館五稜郭と戊辰戦争

さて、次に向かったのが明治維新の戊辰戦争で最後の戦場になった函館・五稜郭を尋ねました。 砂洲で出来上がった半島の西海岸に函館駅があり、この駅から道内一の400kmにもおよぶ遠距離の函館本線が小樽駅、札幌駅を経て旭川まで延びています。

函館駅の次の駅が五稜郭駅で、駅の東方1kmのところに函館最大の名所である五稜郭があります。 こちら五稜郭の展望台からは、城郭である美しい星形の姿や市内の様子が一望できます。

五稜郭は洋式の城郭で、上から見ると星形という異形の形をしていて、これも函館が先鋭的に洋式文化を取り入れた最大の証でもありました。

当初の函館開港時には箱館奉行所が置かれていたといいますが、その後、榎本武揚等率いる旧幕府の脱走軍により占拠され、箱館戦争の舞台となったのは周知でしょう。

慶応4(1868)年1月に、京の鳥羽伏見において勃発した戊辰戦争は、内戦を経て1年半後の北海道の箱館戦争を以って終結をもって終了するのですが。

その最後の戦い箱館戦争は、この道南の各地を戦場に巻き込んでいきました。

旧幕府海軍副総裁の榎本武揚率いる艦隊や大鳥圭介、土方歳三らが幕府の残兵を動員して、
松前や厚沢、江差沖まで戦線を広げるが、結局は、旧幕軍が次第に劣勢となり、青森からの補給部隊を得た新政府軍が攻勢となり箱館戦争は終結するのです。
同時に、五稜郭も明け渡されたといいます。

この函館戦争の榎本軍の幹部の中で、死地ともされる自ら前線に赴き、戦死したのは土方歳三ただ一人であったといいます。
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