天理教本堂は誰でも参拝出来ます

関東ではあまり浸透してませんが、関西では有名な宗教の団体の一つであります。この天理教本堂は、特に天理教でなければならないという事はありません。

もともと天理教そのものが、誰でも入信出来るという宗教なので、外国の人もお参りをしていました。関東の人は、夜行バスでここまで来たりします。

朝参拝をして昼には新幹線で帰る。そうした事もありましたし、ここは商店街が結構面白ものも売っていたりします。天理市とか天理教という名前から、宗教で開いた街という事なので、至る所に天理教の信仰に関連した建物もあります。

本堂の場所

奈良県天理市三島町271と住所にあります。結構町の中心にありますが、実は本堂以外にも建物が似通っているので、間違いやすい。

天理教にはとうほんという宿泊施設がありますが、これはさすがにどこかの教会に所属してないと泊まれないようです。少しそれますが、宿泊費1000円です。例えば渋谷にある本月という施設の人が泊まる。

という手続きをしないととまれません。ではなぜこうした宿泊施設が破格なのかは、修養科生といってここで修行をして先生になる人とか、俗に言うひのきしんというボランティアを通して、この施設を運営しているからです。

人件費はほぼかからない事になります。ここから修養科生の人も、本堂まで徒歩で歩いていき、掃除をしたりひのきしんをしたりするのです。

本堂の中は

一番中心の本堂を入ると、おやさまという大きな鏡があり両脇に御霊様という小さい鏡があります。そこでお参りをしますが、信仰をしてない人はそのまま堂内を回って歩く事になると思います。

誰でも開かれた施設なので、参拝が義務ではありません。廊下は4メーター弱の見事な檜廊下で、一周回るのに歩いて15分くらいかかると思います。

途中トイレが横に階段を降りた所に見られます。歩いていると床掃除をしている人がいると思います。私も幼い頃ひのきしんという事で、床掃除をしたものですがそうした無償の労働力をする事で、人間的な部分の成長をここではかるのだという教えです。

特にワックスをかけた訳でもないのに、いつも清潔に保たれているのはこうした教えからなんですね。

天理教の教えとは

色々歴史的な背景を言うとそれは資料を調べれば出てくるとは思います。親鸞和尚という人がいますが、あの教えに非常に似ていると思います。

悪人こそは救われる。救われなければならない。悪人は自分のやっている事を悔やみ反省しているから、救われなければならない。天理教はそうした考えが強いのです。

自省をするにも社会は認めてくれない事があります。仮に刑務所から刑期を終えて出所しても、社会的に信頼が完全に回復はしない事が特に日本では多い訳です。

しかし当人は反省をしてもいますし、その自省心のやり場はこうした天理教が受け入れていると言えます。犯罪ではなくても、人はなんらかの事で社会に迷惑をかけたり、自分の性格を反省したり様々でしょう。

それをここで自省を受け入れたりしてもらえる事で、人は救われるという発想のようです。確かに教えは素晴らしいと今でも思っています。

お参りが終わったら商店街でお買い物。

一応お参りが教えとしては先と教わっています。これは理を断つとか言うらしいんですが、まずおやさまに挨拶が先というのがつまり礼拝が先です。

ただ信仰をしてない人はあまり関係が無いと思うので、先に商店街をうろつくのはご法度ではありません。商店街は個人商店が多く、天理市そのものが今でいう大きな商業施設を受け入れる街でもないので、シャッター街みたいな事にはならない特殊な場所でもあります。

結構名物なのが、糸状のこんぶ乾物でこれはおそばなどに入れると格別です。丹波の山奥と言われるぐらいなので、乾物が有名らしいです。

結構おすすめなのが、革製品の財布は長持ちしてしっかりしていて、尚且つ価格が安いと記憶しています。何より商店街を含めた、街全体が独特の雰囲気があります。

勿論、天理教の関連したお店や、通りかかる人は天理教の歌があるんですがこれを歌っていたりと、ちょっと他の街では見られない光景が見られます。

駅から結構距離はあるんですが、商店街や街の様相を色々みていると、結構飽きないですね。歩いていても、色々なものに興味を惹かれたり、建物が独特であるので信仰をしてない人や、参拝目的でない人でも、一日いて楽しめる商店街ではないでしょうか。

子供団参

夏場にパレードが行われますが、これは誰でも見れます。各教会の子供が鼓笛隊を汲んで夏場披露します。ただ夏場は結構暑いです。

各所に麦茶が無料で配置されます。こうした会場設置なども、教会の代表がやったり子供たちが手伝ったりします。

まとめ

あくまで観光地ではありませんし、お寺という感覚でもありません。建物はとても立派ですし、宗教を真面目に信仰している人を見学し入信を考えるのもいいかもしれません。