小樽の魅力!小樽ってこんな所だった。 

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● 小樽の旅;ロマンチックな小樽運河

積丹半島の余市から国道5号線を走っていて小樽へ入り、間もなくあの有名な「小樽運河」へ突然のように出た。 小樽で最大の人気を誇る観光スポットであろう。 好天でしかも今日は気がつけば日曜日とあって大層な人出です。

小樽運河

以前、スキーツアーなどで冬の小樽を訪れた時、小樽運河を中心とした周辺各地で、雪の路端に小さなをロウソクを灯した「雪明りキャンドルの道」を、ソゾロ歩きした幻想的な景色を思い出した。 そして、小樽運河で著名なものは、向こう岸に並ぶ古き倉庫群でしょう。

 

昔の当時の小樽の運河の港は沖合いの海上に停泊していた船から、積んだ荷物の揚げ降ろしをハシケ(荷役作業の小船)にて運河を通じ、これらの倉庫へ出入りしていたのです。 最盛期には其のハシケが数百隻も有って其の多くが出入りし、運河を航行する船が混雑状態であったともいいます。

現在ではこれら倉庫群は運河食堂や工芸館や各種の観光施設、お土産屋となり、川辺に沿って散策路やガス灯が整備され、小樽の一大観光スポットになっているのです。 運河沿いにある石造倉庫群は当時の姿を残しており、夕刻時からは周辺地域はライトアップしていて美しい景観を形造っております。

また、特定の季節になると運河周辺では「小樽雪あかりの路」(冬の雪祭りの一種)や海の日を記念するイベントとして「おたる浅草橋オールディーズナイト」(夏の時期のイベント)などが行われているようです。

因みに、小樽の運河とその周辺地域は日本の都市景観100選にも選ばれていますし、道内としては札幌の大通り公園や函館の洋館が並ぶ西部地区など5個所がそのようです。

ところで、昔の其の当時の運河の幅は今の倍もあり、札幌の玄関口としての役目をはじめ北海道の海上流通の拠点として多いに賑わっていたのです。

しかし港湾が発達するに従って、この「運河方式」は衰退してゆき、次第に無用の長物になっていった。

当局は埋め立てを計るが、市民団体の反対もあって、なんとか公園として一部を残したという。 これが現在の「小樽運河」なのです。

● 小樽の旅;小樽と北のウォール街

小樽運河が最盛期を迎えた頃になって海運の物流量が急激に増えはじめたが、これ等の船舶の重要性と併せて、小樽にも本格的な鉄道建設が開始されたのです。

其れは明治10年代には既に小樽から札幌の間が開通したとされ、これは日本でも三番目としての鉄道開通であったとされています。

日本で最初に開通した勿論、新橋から横浜間でよくしられていますが、この時の鉄道はイギリス式が採用されたのですが、此れに対し此方の北海道ではアメリカ式が採用されたとされ、あのアメリカ西部開拓時代のと同様な特徴有る牛よけのガードが付いた蒸気機関車が走ったといわれています。

輸入された2台の機関車には義経、弁慶号と粋な命名が付されたのは、義経の蝦夷地伝説によるものであろうか・・?。

小樽-札幌間の36kmを、3時間もかけて走り抜けたと言われるのだから、随分のんびりしたものであるが、当時としては驚くべきスピードであったでしょう。

 

さて、函館本線の小樽駅から通りを港へ向かって坂を下りていくと大通りにぶつかります。
この交差点より日銀小樽支店までの一帯は「北のウォール街」と言って、昔から呼ばれていたらしいです。

その名の通り、日銀小樽支店の他にも三井、安田、第一銀行など、地元の銀行も含めて金融機関や銀行等が建ち並び、他にも物流関係の商社である三井や三菱商事、其れに日本郵船、大阪汽船、山下汽船などの海運・運輸関連などが軒を並べ、北海道隋一の経済繁栄を誇っていたのです。

しかし、現在では北海道の中心は札幌市に移り、同様の金融関連機関も札幌に移り、小樽の主要な市街地を形成して其の姿は其の殆どは消えてしまいました。

戦後の小樽は国際貿易港としての役割を終え、尚且つ、北海道経済の要は札幌市へ移ってしまい、業務としての本州資本や大手銀行は次々と引き上げてしまいました。

ただ、これらは遺産として数多く残され、小樽は今や遺産を含めた観光都市として、多くの人々を呼び寄せているのです。

 

● 小樽の旅;小樽のニシン御殿

北海道は江戸期の頃までは特に西部地区の松前や江差方面ではニシンで栄えたのは周知ですが、ところが明治期になってこの地のニシンの魚影が姿を消し、代わってニシンが群れて集積っしてきたのは積丹半島から、更に小樽の高島(高島岬)周辺海域へと移ってきたのでした。

結果として、その間は小樽の網元の利益は計り知れないものがあり、得られる利益は莫大なものとなり、こうして網元のニシン御殿と言う豪華絢爛な建築物が出現したのです。
現在、一部復元されており高島、祝津地区のニシン御殿、それに青山別邸などが其の栄華の一端が伺えるのです。

しかし、小樽も明治後半までの大豊漁以来、次第に漁獲を落として昭和に入ると落ち込みはさらにひどくなり、遂に昭和20年代には激減、30年代以降ニシンは全く姿を消してしまったといいます。

小樽が幸いしたのは、其のニシンは全く来なくなった時期に併せるように、北海道、特に札幌へ流入する物資の量が急増するようになり、そこで活躍したのが積み降ろしの施設として小樽運河という方式が検討され完成したことでした。