頭塔って?奈良市のピラミッド高畑町にあるピラミッド頭塔を見学する方法!

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■余り知られていない不思議な史跡の頭塔

奈良市内には世界遺産の構成要素となっている寺社仏閣も多く、観光スポットには事欠きません。
多くの方は奈良を訪れると奈良公園周辺の世界遺産の構成要素である興福寺・東大寺・春日大社等を散策されるのが定番です。

国宝の建造物も多く、また多くの国宝に指定された仏像等が多数あり、じっくり見れば1日では廻りきれないほどです。


何度も奈良を訪れられた方は、奈良公園周辺のみならず、ならまちの散策や西ノ京の薬師寺や唐招提寺を訪れられるでしょう。

私は佐保路の寺院や、新薬師寺や白毫寺など、少しマイナーなスポットを知っていると言う自称奈良通の方での、余り知らない史跡が奈良公園からそう遠くない高畑町にあるのを知っている方は極めて少ないと思います。

この史跡こそ、日本の小さなピラミッドと言っても過言ではない頭塔なのです。本記事では、この奈良通でも知る人の少ない頭塔について紹介したいと思います。

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■住宅街の中の小高い丘に眠っていた頭塔

地元の方は、幼い頃にこの頭塔が眠っていた木々は生えたこの小高い丘を遊び場にしていたと経験を持っている方も沢山おられます。

この丘の下には、史跡が眠っているとは言われていましたが、実際に奈良文化財研究所による発掘調査が行われたのは、何と1986年(昭和61年)の事なのです。12年を掛けて発掘調査が進められ、平成3年に現在の姿に復元されたのです。

発掘調査により、多くの石仏が発見され、発掘調査後に南側半分は調査前の丘のままとし、北側半分を文献等を参考に、推察して現在の頭塔の姿が復元されたのです。

昭和の末期まで、重要文化財に指定される多くの石仏が眠る史跡が発掘調査されなかった事には驚きを感じます。

そうした発掘調査が遅く、また復元された事も余り知られておらず、観光スポットとして大々的にPRされる事もなく、後述する方法で、ひそやかにマニアに公開されて来たのです。

■頭塔とは一体何でしょうか?

古文書に767年に東大寺の僧侶である実忠と言う人が、土塔を築いたとあり、これが頭塔だと言う説が最も有力とされています。

では、この土塔が頭塔と呼ばれる様になったのはどうしてでしょうか?この理由として、古くからこの場所に僧玄昉の頭を埋めたと言う言い伝えがあったからと言う説もあります。しかし一方で、単にドトウがズトウとなまって変化したと言うのが正しい様です。

土塔と言うのも聞きなれないものですが、これはれっきとした仏塔の一つで、小高い土塁で形成された仏塔の事なのです。

実際に復元された土塔である頭塔は、1辺32mの正方形の石積み基壇上に7段の階段上の石積みがなされ、高さは10mに及びます。まさに小さなピラミッドの様に四角錐の形をしているのです。

奇数段には小屋根が設けられた下に、大きな石に刻まれた石仏が祀られています。この石仏は、4面それぞれに11基づつ、合計44基が祀られていたと考えられています。残念ながら実際には、現在までに28基のみ発見されており、このすべての石仏が重要文化財に指定されています。

■頭塔を見学する方法

この頭塔は、普段は一般公開されていません。周囲は塀に覆われ、許可を得て見学させてもらうスタイルになっています。

この高畑町にある頭塔は、東大寺大仏殿からバス通りを南に進み、破石町バス停の近くにあるホテルウエルネス飛鳥の南の路地を西に入った所に入り口があります。

入り口は普段は閉まっており、自由に出入りする事はできません。しかし見学希望される方は上記のホテルのロビーに申し込めば、いつでも見学させてもらえると言う事です。

また秋に毎年開催される正倉院展の期間には、事前申し込みなしに一般公開されており、正倉院展を見学された後に訪問されるのが、お勧めです。私もこの一般公開の時に見学しました。

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■奈良にはまだまだ埋もれた文化財が多数あるはずです

京都に比べて、奈良はそれ以上に古い都であり、都が京都に移ってからは、奈良は衰退の道を辿って行きました。

奈良時代には大きな寺院であった所も、堂塔が分散し、消失されてしまっている例は枚挙にいとまがありません。

例えば、古文書に残された高さ100mとも70mとも言われる東大寺の七重の塔は、現在も発掘と共に、現代科学でその実際を推定するプロジェクトが続いています。

また、ならまちの中心にある世界遺産の構成要素である元興寺も、現在は2つのお堂を残すのみですが、往時は大寺で、現在の境内の外のならまちの街中に、堂塔の遺構がいくつか残されています。

国宝に指定されている歴史的建造物や仏像だけでなく、それ以上に消失してしまったものの中には、古文書に残された記載からは貴重な建造物が多数存在していた事が伺えるのです。

世界遺産の構成要素となっている平城京跡に復元された第2次大極殿や朱雀門も正にこうした遺構なのです。

興味のある方は、少しマニアックかも知れませんが、こうした遺構を辿り奈良時代の歴史に触れるのも良いものです。
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